風邪から復帰したばかりのあたしは、昨日の分を取り戻そうと必死にペンを動かしていた。
それはもう周りが自分の仕事の手を止めてしまう程に。

…今日はどうしたの?」
「昨日休んでみんなに迷惑掛けちゃったし、デスクワークは出来る時にやらないとじゃないですか」
「大佐に聞かしてやりてぇなぁ…」

ハボック少尉の呟いた言葉に、一同が首を立てに振る。
それを見てあたしは苦笑いしたが、再び視線を戻してペンを動かした。
このままのペースを保って定時まで過ごすとなると、3〜4日先の仕事まで片付きそうである。

「そんなに頑張らなくても大丈夫よ。まだ病み上がりでしょう?」
「リザさん…ありがとうございます。でも大丈夫ですから」

心配かけてごめんなさい。
でも――今やっておかなければ、ダメなんだ…





















「マスタング大佐」

その声に振り向くと、そこには3人の男。
そのうち後ろの2人は先頭に立っている男の部下だろう。
はハボックやリザと共に後ろへと下がった。

「や、これはハクロ将軍。お怪我の方はもうよろしいのですか?」

相手を認知した瞬間に内心ロイは怪訝に思ったが、相手は自分より地位が上。
まずは当たり障りのない挨拶交わし、ロイはハクロと廊下を進み始めた。

「仕事には差し支えない。それよりもスカーの件だ。
 たった1人の人間にここまでかき回され、しかもかなりの人数を動員しているにもかかわらず…
 未だ捕まらないとは、どういう事だね」

ただの嫌味。
後ろに付いていた達は心の中で溜息をついた。

「はっ。引き続き全力で捜査しますので、今しばらく時間をいただければと…」
「口先だけでなく成果で示してもらいたいものだな。
 このままでは東部全域に警戒を出すハメになるぞ」

あんたが出来るんならやってみたらどうだと思うのはグッ飲み込み、
連続で吐かれる嫌味に対してロイはまた当たり障りのない返答をする。
しかし、それで終わる筈だった嫌味の矛先が思わぬ方向へ向いた。
ふと立ち止まったハクロは後ろを振り向き、の方を真っ直ぐ見る。

「君が最近配属された国家錬金術師かな?」
「はい、です。お初にお目にかかります」

ロイやリザやハボックは、2人のやりとりに冷や汗を流す。

「まだ子供じゃないか…東方司令部はよほど人材不足のようだな」


『子供』


確かに自分は子供かもしれない。
だから否定もしない。
しかし、言葉の裏に含まれたロイへの侮辱の言葉。
堰を切って飛び出しそうなハクロへの暴言を必死に留めながら、
まず誰にも分からぬよう1度深呼吸をした。


相手に乗せられてはいけない。

余計な事は言わず、一言だけ返せばいい。


「ええ、確かに私は子供です。それが何か?」

はにこりと微笑んだ。
ハクロは言葉に詰まり、何も言わずに踵を返して去っていく。







「全く…私は心臓が止まるかと思ったよ」

ロイが額に手を当てて溜息を吐く。
ハボックは自然と入っていた力を一気に抜き、リザもホッとした表情を浮かべている。

「…っ、あたしの事なのに、何でロイまで嫌味言われなきゃなの…?」

俯いて涙ぐむの頭を、ロイは優しく撫でた。

「ありがとう」

筒状に丸めた大きな紙を持ち直し、ハボックはハクロの消えた方を見た。
再び歩き出した4人はロイの執務室へと向かう。

「…めずらしくニューオプティンの支部から出てきたと思ったら、
 グチ言いに来ただけっすか、あのおっさん」
「私みたいな若僧が大佐の地位にいる事が気にくわないのさ。
 嫌味は私だけなら良いが、にまで……すまない」

申し訳なさそうな表情のロイに、はふるふると首を横に振る。

いつ自分の地位に取って代わられるかと恐々しているだけの男なんて放っておけばいい。
ただスカーについては、確かにロイも直ぐに片付けたいと思っている。
将来への不安の芽は早い内に摘み取ってしまった方が良いに決まっているし、
中央で持て余していた事件をロイが解決すれば株も上がる。
執務室の机上にイーストシティ全体の地図を広げ、ロイは椅子に座って両肘をつく。

「『害をもって利となす』。
 私の昇進に利用できるものは全て利用させてもらう。


 ―――――― 私が大総統の地位に就いて軍事の全権を手にするまではね」


「不穏当な発言は慎んだ方が宜しいかと」

・ハボック・リザが小さく微笑み、目を鋭くしていたロイがふっと口の端を上げた。

「ああ、精々気を付けるとしよう」





















2人は路上を寄り添って歩いていた。
日が落ちたばかりの宵闇に包まれてゆく地上と、青から赤のグラデーションに染まった空。

「ねぇ、知ってる?ロイ」
「何がだい?」
「世界が一番美しく見えるとされる時間」
「ほう…」

ロイが興味深そうに口元へ手を当てると、は数メートル先へ行って悪戯っぽく笑った。

「日没から20分間だけ。ちょうど今なんだよ」

そう言っては日の落ちた方の天を仰いだ。

刹那、ロイは迫る闇にが溶けていきそうな感覚に陥った。
彼女の横顔から読み取れる表情が尚更その感覚を深くしていく。
何処か憂いを含んだ微笑み。

「マジックアワーって言――っ!……ロイ?」

を後ろから包み込んだ腕が、いつもより少し強い気がした。












永遠にこの時間が続けば良いのに。








世界が、ずっとこの空の様に綺麗で純粋だったら善いのに。








そう思った。















 

時に空は残酷になる