からん

からん



朝靄に包まれる街。
静かに響き渡る鐘の音が、まるで合図のように。



からん

からん

















一晩、一度たりとも瞼は重くならなかった。
膝に毛布を掛けただけの体育座りの状態で一晩を明かしたあたしに、
明るみを帯びてきた街が目に入る。

ひたひたと裸足で洗面所まで歩き、冷たい水で顔を洗う。
鏡の自分と向き合い、一度瞳を閉じて深く息を吸った。
静かに吐きだして目を開けたあたしに問う。

大丈夫?

「うん、大丈夫」















ぴしっと青い軍服を着て。
右のポケットには銀時計。
首には師匠から貰ったネックレスを。
チョークも1本だけ、軍服に忍ばせていた。

「じゃあまたね、エド、アル、ウィンリィ」

病院を出る所の3人を捕まえ、別れの挨拶を言う。
駅まで見送りをすると、時間的に少し微妙なのだ。

「あぁ、またどっかで…つーか、東方司令部かな」
「確かに、報告書出しに行く時に会えるよね」
「うん、じゃあ次はその時だね」

ウィンリィと向き合うと、お互い両手をぎゅっと握って笑い合った。

「また色々と、女同士の話しよーね!」
「うん、いっぱい話そうね」
「もし結婚式を挙げるんだったら、絶対呼んでよ!」
「ななな何言って…!」

似たような事を以前から何度も言われ続けてきたが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。
あたしが赤くなっていると、ウィンリィがくすりと笑った。










遠くなっていく3人を見送った後、あたしは軍法会議所へ向った。
辿り着いた軍法会議所も定時を過ぎた所為で、
ヒューズ中佐とシェスカさん、中佐直属の部下である大尉しかいなかった。
もう日は落ちかけて空も街も赤く染まっている。

「お。ついに行ったか、あの3人は」
「はい、行っちゃいましたよ。あ、何か手伝える仕事ありますか?」
「悪ぃな、手伝わせちまって」
「いえいえ、ちょっとでも助けになれればそれで良いんです」

あたしは渡された資料の整理を始める。
決して外には出さないようにしているが、心の中はぴりぴりと張りつめた糸のようだった。

中佐があれに気付いたとしても、何とか気付いていないフリをしてもらえれば、何とか繋げる事が出来る。





「リオールの暴動?」

ヒューズ中佐のその言葉に、一気に引き戻される。

「ええ、レト教とかいう新興宗教が住民をだましてたってやつ。やっと治まったらしいですよ」

仕事の合間、休憩がてら情報収集に東部の新聞を開く。
ちょうど開いたページに、たった今大尉から聞いた話の記事を見つけたらしい。
ヒューズ中佐がその記事に目を通す。

「あーあ、やだねぇ死者多数だってよ。
 イシュヴァールやら暴動やら、ロイの野郎も大変だな」
「ああ、東部にはマスタング大佐がいらっしゃいましたね。
 でも東部だけじゃないですよ…北も西も暴動だ国境線だと急に賑やかになって。
 そのうち国家転覆でもするんじゃないですかね」

大尉がははっ、と冗談交じりに笑いながら言った。
ヒューズ中佐も、それを冗談として受け取って、別の記事へと目を向けた。
しかし。
ヒューズ中佐が僅かに目を見開く。


ヒューズ中佐が次の行動を起こす前に、あたしは整理の終わった資料を中佐の前へ置いた。

「中佐。資料整理終わりました」

その言葉にハッとしたヒューズ中佐が、浮きかけていた腰を椅子に戻す。
彼の頭の中で何がどう繋がったのかわからない。
わからないけれど、とにかくここで奴等に気付かれるような行動は止めなければならない。

「あ……あぁ、わかった…」



ヒューズ中佐は、ふーっと長く息を吐き、背もたれへと体重を預けた。



「なぁ…ちょっと書庫まで行かねぇか?
 整理終わった資料の収納と、ちょっと調べ物もしたいんだが。手伝って貰いたい」
「…はい、わかりました」

整理の終わっている資料を何冊か持ち、歩き出したヒューズ中佐の後ろに付く。
持っている資料は本当に適当に選んだもの。それ程重要ではない。

重要なのは、それっぽい理由を付けてでも彼が書庫で調べ物をしたいという意思。

「つーわけで俺とはちょっと席外すから、しばらくここを頼んだ」
「はい、了解しました」

























かつん、かつんと軍靴の音が響く。
の目の前を歩くヒューズの歩みはどこか急いていた。

「悪いな…付き合わせちまって」
「いいえ…」

どこから監視をされているかわからない状況。
言葉選びは慎重に行わなければならない。

書庫――つまり資料室の扉を開けると、やはり少し埃っぽい匂いが漂っていた。

「これと…これと…後は…」

が適当に選んできた資料をカテゴリごとに棚へと収める後ろで、
ヒューズは次々と資料を引っ張り出して机の上に広げていく。
資料を棚に収めながらも、の神経は研ぎ澄まされていた。

『イシュヴァールの内乱』
『リオールの暴動』
そして…

資料から補われていく情報の8割が繋がった時、さあっ、とヒューズの頭から血の気が引いた。
頭の中で警鐘が鳴り響く。
その警鐘が、との約束を掻き消した。

「う、嘘だろ…」
「中佐」

だめ

「一体どこのどいつだ……早く少佐と大総統に」
「ヒューズ中佐!」




コエガ、トドカナイ。




届かない。




バタン!

「「!」」

突然閉まった扉と、光源のなくなった部屋。
まだ暗順応出来ていない暗闇の中、扉の横で黒が動いた。

「初めまして、ヒューズ中佐、少佐。
 あぁ…ヒューズ中佐は『さようなら』の方が良かったかしら」

の恐れていた事が―――起こった。
しかし、やっと暗順応し始めた目で見た先に、自分の予定と外れた物を見た。

「ははっ、『さようなら』の方が断然ピッタリだね。
 そう思わない? 朧のお嬢さんも」
「ェ…エンヴィー!」

扉の両サイドに、色欲だけではなく、嫉妬までもが立っていた。

「エン、ヴィー…ってことは…!」

ヒューズの闇に慣れた目に、ラストの胸元に刻まれた入れ墨が飛び込む。

「……イカす入れ墨してるな、ねぇちゃん…」
「知りすぎたわね、ヒューズ中佐」

ラストが爪を伸ばして腕を振り上げるのと同時に、ヒューズもナイフへと素早く手を掛ける。
も同時に右の手を、糸を引くように引き上げた。

っ、間に合え!

刹那、ラストから放たれた5本の爪の内、4本が小気味の良い音を立てながら割れた。
しかし残った1本が…

「っ!!」

ヒューズの肩を貫通した。
ヒューズは扉に体当たりするように、廊下の床へと倒れ込む。
衝撃で更に痛む肩を押さえながら何とか立ち上がった。

「つ…っ、くそっ!!!」
「くく…朧のお嬢さんの相手は俺だよ」
「中佐!!あたしは大丈夫ですから、行って下さい!!」
「何言って――
「良いから!早く逃げて!!」
「っ…わかった…!」



ヒューズの軍靴が遠ざかるのを耳で捕らえながら、はラストとエンヴィーを交互に見た。
の張りつめた緊張を余所に、ラストとエンヴィーは冗談交じりに会話を交わす。

「おばはん、見事にやられたね〜」
「五月蠅いわよ、エンヴィー。全く…『くそ』はこっちのセリフだわ。
 デスクワーク派かと思ったら、意外といい腕してるじゃないの、中佐」

一回死んじゃったわ、と小さくぼやきながら、
ラストは額に刺さったナイフの柄に手を掛けて引き抜いた。
引き抜く瞬間、金属に密着した血や肉が嫌な音を立て、残った傷口からごぽっと新たな血が溢れた。
口元まで流れてきた血をぺろりと妖艶に舐める。
はそれから目を逸らした。

「っ…」
「血を見るのは苦手?」

その言葉の方を見ると、エンヴィーがにっこりと笑ってこちらを見ていた。

「エンヴィー…遊んでないで。任務を忘れたの?」
「…は?忘れるわけないじゃん、分かってるっつーの」
「それなら良いのよ。あたしに命じられた役目は終わったわ。
 後は貴方に与えられた仕事…しっかりと、全てこなしなさい」
「分かってるって言ってんじゃん」

すっかりと傷口の消えた額の血を拭いながら、ラストは扉の向こうへと消えた。
確かに、原作でもラストはヒューズ暗殺のこの部分にしか関わっていなかったが、
は、ラストがこんなにもすんなりと舞台から降りると考えていなかった。

ただ、与えられた任務をこなす。
おそらくラストに与えられたのは『ヒューズを殺せ、もしくは弱らせろ』。
ラストが殺すのに失敗して弱らせるに留まった場合、その先の仕事はエンヴィーに任されているのだろう。


「だとしたら…」
「ん?」
「あなたを止められれば、ヒューズ中佐に『さようなら』を言わずに済むんでしょう?」

その言葉に、エンヴィーは間の抜けた顔をする。
首を傾げながら考えるように視線を逸らしたその後。

彼は綺麗に嗤った。







「止められるのなら、ね」














私は踊りましょう

舞台の上に立てる役ではないとわかっています



私は踊りましょう

観客も居ない、からっぽで闇に包まれた舞台の上、独り踊り続けます



私は踊りましょう

貴方が見ていなくとも良いのです、もう踊りを止める事はできません




貴方が大好きです、愛しています

だから



だから私は踊ります












 
この連載で一番の難産でした…
長々とお待たせして、本当にすみません;

この話の最後の辺りは、とある歌からイメージを頂きました。
すごくぴったりだなぁと思って。
わかる人、いるかな…