注がれた沈黙、宵闇、静寂。
私達はその中に紛れ、潜み、走っていた。
まだ司令部を出てすぐの場所。
煉瓦を敷き詰めた道を、とヒューズはひた走っていた。
ポケットに入っている銀時計の鎖が、足の動きと合わせて微かな音を立てる。
「…」
「何ですか?」
「怖くは…ないのか?」
走りながら。
ヒューズは後ろにいるに振り向かないし、も前を走るヒューズを見なかった。
ただ真っ直ぐ前を見て、走る。
「怖くない…とはっきり言えれば良いんですけどね」
「…本当にすま――
「ストップ」
再び謝罪の言葉を口にしようとしたヒューズを途中で遮り、は走るスピードを少し上げた。
ヒューズの横へ並ぶ。
「だから、中佐があたしに謝る理由はどこにも無いんですってば。
あたしは、あたしの意思でここに居る。それだけです」
頭の上では、星が光を零していた。
「あたし、我儘なんですよ。
あれもこれもと願ってしまえばどれも手に入らないと分かっているのに、
…全部守りたい。守り抜きたいんです。
中佐の命も、みんなの気持ちも、ロイの笑顔も…
だからあたしはここに来た」
隣でが薄く微笑んだ事を微かに感じ取ったヒューズはハッとした。
「っ! おまえ、まさかこれ全部知っ――
「先に行って下さい、ヒューズ中佐」
そう言って足を止めたにヒューズが振り返ると、
のその後方数メートルに…あいつが立っていた。
「見ぃつけた」
「中佐、何してるんですか。早く行って下さい」
「っ…」
ヒューズは分かっていた。
ここでを置いて先へ行くのを躊躇う事は、の気持ちを全くの無に帰す行為なのだと。
ぎり、と拳を握りしめ、ヒューズは足を踏み出した。
「…絶対追いついて来い!」
エンヴィーを視野に入れながら、は横目で頷いた。
「さっきの錬成、早くて不意を突かれちゃったなぁ」
「…」
「お礼。しなきゃね」
エンヴィーが己の右腕を撫でると、音を立てながら彼の右手に何かが形成されていく。
錬成反応にも似たそれが一際大きな音を立てた時、彼の手には鋭く光る剣が握られていた。
「時間も無いことだし、早めに決着付けようか」
「それには同感かも」
あたしは彼の得物を見て瞬時に錬成を行い、次の瞬間には、あたしの右手にも武器が握られていた。
水で作られた日本刀。色はない。
それを見た彼は、にこりと笑い、そして
あたしに襲いかかった。
可笑しい。
違う。
違いすぎる。
素早い刀裁き。
無駄のないステップ。
先の彼とは全く別人のように。
攻撃の鋭さも、殺気も。
「くっ!」
―――攻撃を刀身で逸らせるのが精一杯だなんて!
ぴり、と順に、足や腕や肩や脇腹に痛みが走っていく。
今その箇所を見る事は自殺行為。恐らく、攻撃を逸らし切れていないのだ。
逸らしきれなかった刃が、軍服と、その下の肌まで切っていく。
傷自体深くは無いだろうが浅くもないだろう。
数が増えればその分だけ血が流れる。
しかし、そう頭で分かっていても体が付いてこなかった。
先の戦闘で推し量った彼の力量。
自分と彼の力の差。
ほんの少し。
その少しも自分次第で埋められると思っていた。
しかし、あたしとエンヴィーの間にあるのは、ただ、明らかな力の差だった。
「やだなぁそんな顔して。今更だし?
君が僕を本気にさせたんだから」
にこにこと愛想の良い笑顔を浮かべながらも容赦の無い攻撃を続ける彼に、
あたしは初めて本気で恐怖を覚えた。
右の頬に痛みが走る。
「あ」
「!?」
彼は呆けた声を上げ攻撃を止めた。
次の攻撃へ対処しかけていた体をぐん、と止めると同時に、頬の傷から温かい物が流れ落ちた。
「手元が狂ったかな?ごめんね、顔に傷付けちゃった」
そう謝った彼の顔は至極楽しそうで、反省の色なんて露も感じられなかった。
そして、あたしの血で塗れた剣を無造作に地面へと放り投げた。
彼の手から離れた剣は、地面に落ちた瞬間ぼろりと脆くも崩れ去る。
一体こいつは何を考えて―――
瞬間、首と背中に大きな衝撃を感じ、息が詰まった。
意識が飛びかける。
「かはっ!!あ、っう…」
そして、あたしは自分の置かれた状況を認識する。
ここに、首を掴まれてそのまま後ろの塀へと勢いよく叩き付けられた自分がいた。
痛みに涙が滲みながら睨み付けるあたしを、何かを考えながら見下ろすエンヴィー。
圧倒的な違いを見せつけられた。
どう足掻いても、易々と押さえつけられる力の差。
「このまま殺すのも楽しくないな…
犯して、嬲り尽くして、それから殺してやろうか」
その言葉に恐怖の色を隠せなかったあたしの瞳にエンヴィーが目を細める。
頬に流れている血を彼がぺろりと舐め上げ、ぞわりと走った感覚に、あたしは肩を揺らした。
「っ!」
「…くくっ、あはははっ!嘘だよ、嘘!」
かぁっと頭に血が上り、右手に握る刀を振り上げた、
筈だった。
「これ、大事な物なんでしょ?」
あたしの右手にあったはずの刀はすでに形を留めず地面を濡らしていて、
彼の左手には、どうしてなのかあのネックレスが握られていた。
「な、んで!」
「ん〜?何で錬成の元がコレだとわかったかって?」
「それ…あんまり人に見せてない!」
これが錬成の元だと公言して見せたのは、
ロイ、リザさん、ハボック少尉、ブレダ少尉、ファルマン准尉、フュリー曹長だけの筈。
エンヴィーは、ネックレスを持った左手を一度ちゃり、と鳴らす。
「うーん、まあ教えてあげても良いかな。僕が知ったのは偶然だったんだけどね」
そう言って、エンヴィーはあたしの耳元へ唇を寄せた。
「僕は、一度東方司令部で君と話した事がある」
「し、信頼出来る人にしかその事は話してない!」
「あぁ、そうだね。でも、君はそれを一度だけ手元から離した時があっただろ?」
「!」
「あ…ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした、少佐」
「本当にお気になさらないで下さい」
「本当にすみません…まだ頭が寝てるみたいで…」
まさか。
まさかまさかまさか。
「まさかあの…!?」
「やっと思い出してくれたかな?ちょうど東方司令部の潜入調査でね。
ぶつかったのもこれが落ちてたのも偶然だったけど、ラッキーだったよ。
君の錬成の元を知る事が出来たんだから」
「っ、返して!」
あたしの伸ばした手を軽く避けて、彼は首に絡ませている手に更に力を込めた。
「ぅあッ!」
ポケットに忍ばせているチョークを取りたいのに。
両手を合わせたいのに。
何で、動いてくれないのぉっ!
「さぁて。そろそろお遊びの時間も終わりだ」
ダメだ。
あたしは生きて、あの人の所へ帰る。
誰も何も知らなくても、胸張って帰れるようにしないとダメなんだ。
だからあたしは―――
「くっ、ここでやられて…たまるか!」
バシィ!
「!!」
「げほ、げほっ!はぁっはぁっ…」
何とか動かした指先を使い、心臓めがけて錬成した鋭い氷は確かに狙いを外さず突き刺っている。
そしてその勢いで首に掛けられていた手も外れ、ずるりとあたしは座り込んでしまった。
しゅっ、と音を立てて氷は消え、消えた後から血が溢れた。
「くっ…壁に血で錬成陣を描い…―――円だけで錬成だと!?
ハッ…なるほど君もか、朧のお嬢さん」
通常なら既に死んでも可笑しくない場所を貫かれているのにも関わらず、
彼はしっかりと自分の足で立ち、普通に喋っている。
驚異的なホムンクルスの再生力。
右の指先を血で染めながら、
酸素を求めて荒い呼吸を繰り返すあたしの体は、もう思い通りに動いてはくれないし、
沢山の傷から血も流れすぎたのか、視界も意識も闇に覆われつつある。
そんな座り込んだままのあたしに、エンヴィーは1歩2歩と近付いてきた。
必死に意識を繋ぎ止めようとする中、ぽとりと何かを足に落とされた。
ぼんやりと見えるそこには、大切なあのネックレスが転がっている。
「これでも僕は君の事を気に入っているんだ。
だから、この僕に立ち向かってよく頑張ったと誉めてあげるよ」
そして、彼はやっぱり嗤う。
「だからおやすみ」
ごめん
ごめんね
闇に光を零してあげたかったの
宇宙に浮かぶ星のような
ここから見て小さな存在だけど
あたしはそうなりたかったんだ
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出涸らしの紅茶(2杯目)で80%執筆。
1杯目と2杯目のミルクティーは、2杯目が美味しい時もある…
そして、予想以上にエンヴィーが鬼畜っぽくなってしまったorz